−8− 懐かしむだけの旅ではない


韓国訪問G

■萬吉郎に縁の深い人A

 今回の旅で大活躍をした金容石さんは大変な秀才で、成績はいつも一番二番、正確には二番。先生として活躍の後、お役人としても大変な業績を挙げた。ガンガン行くが同時に、細かい心使いも忘れない。電話でのやりとりで予想はしたが、会ってみると予想以上に大した方だった。
 金さんの父上は半泥子もお世話になった金同洙先生。教育者として務安地方で長く活躍されたが、母上の病態が悪化、年金が貰えるようになる勤務年限十七年にあと三カ月というところで教職を辞し、母上の看病と看取りをした。若くして辞めたから、その後山田農場に勤めた。
 あと三カ月勤めれば、その先には楽な、安全な人生が待っている。ここは人間の大きな別れ道。いくら韓国が儒教の国といっても中々できないこと。それをスパッと決断、実行する。背骨が一本バーンと通っている。人間ココというとき、損得抜きで動けるか動けないか。《損》を被らない人間を人は信用しない。同洙先生が絶大な信用を得ていたのも、答えはこの辺りにあるだろう。半泥子へ送る土の手配も、みなこの人がしている。
 話しは変わる。昭和二十五年六月朝鮮動乱が勃発した。韓国は北に一挙に攻め込まれた。北朝鮮は木浦からも上陸した。韓国軍は釜山に追い込まれた。あとは海だけ。たしか韓国の臨時政府は釜山だったろう。容石さんは奈里に逃げ、匿ってもらって事なきを得たが、容石さんのお兄さんは北朝鮮軍に捕まり、無残な死を強いられた、と漏れ聞く。
■金さんの手紙
 《今回の旅の成果は、人間の能力だけでは、とてもかなえられない結果だ。自分は若い頃から科学的な立場を取るほうだったので、神に頼ることなどは弱者の弁に過ぎないものだと主張して来たが、最近はそうでもなさそうだと思うようになった。なぜなら、人間は霊肉一致の動物で、精神的なストレスは、物質的には健康な肉体に何も与えていないけど、結果的には肉体に損傷を与えて病気になるじゃないですか。
 川喜田さんから手紙が届いて、潤二君の祖父のお墓参りや、半泥子さんの朝鮮での窯跡調べなど、私には全く雲をつかむような話であった。六十年も前の事であり、潤二君は小学一年のとき引き揚げてしまってるし、私だってお祖父さんのお墓については全く聞いた覚えがなかった。又、所在を知っていたとしても日本人の墓は終戦後、ほとんど掘り返されて無くなっているのが現状なのだ。心配していても始まらないので、あちこち情報網を探して連絡を取っていたけれど、本当に自信のない話であった。
 しかし、少しでも粗忽な所があっては潤二君や川喜田さんに面目が無い、特に萬吉郎叔父様に顔が立たない。とにかく「人事を尽くして天命を待つ」、誰が見ても、また自ら省みて、少しも恥じないように最善を尽くすほかはない、と思いながら、皆様を迎えた。
 ところが、旅行中の毎日毎日が奇跡の連続だった。これは川喜田さんの奥さんのお手紙の通り、半泥子様と萬吉郎様の霊魂が「お前達がそんなに熱望するなら、これから導いてあげよう」と、次から次へと縺(もつ)れた糸をほぐすように、関係者の人脈を導いて下さったのだ。まさに夢のような毎日だった。ほんとうにホクホクする旅だった。又、どしどし韓国へおいでください》。
 旅の第一の功労者金さんを、九月十七日、十九日両日開かれた私の講演会に招待した。とても喜んでおられた。ところが来日予定の2日前「緊急入院する。強い黄疸です」と電話。旅行は六月中旬、本当にお元気だったのに。
■旅の終わりの「日記」から
 森本、小倉両氏は多忙なので光州から飛行機で帰った。山田さんと堀井君、それに堀田光子と私の四人は、釜山から一晩かけてフェリーの大部屋、一番安いので帰った。
 六月十八日「十時消灯だというのに、みな疲れているのか九時には床についている。三月四日、山田潤二さんにお会いしてからまだ三月余り、何という進み具合だったろう。今回の旅の成果は改めて云々しなくとも、毛布一枚の寝床で、身体と心が一つに溶け、緩み、柔らかい眠りに誘われるのをみれば、はっきりと答えは出ている。昔を懐かしむだけの回顧の旅ではない。人間と人間とを結び付ける大事な物はなにかを見事に指し示す旅。金さんの活躍なくして、かくのごとき大きな収穫は得られなかったろう。金さんが咸平を、務安を、木浦を故郷にもっていた、ということ以上に、金さんの山田萬吉郎を想う気持ちが生んだ、収穫多き旅であったといえる。ここでもまた、山田萬吉郎の人間としての大きさ、優しさが改めて浮かび上がってくる」。
 六月十九日「朝六時、港の入り口で時間待ちをするフェリーは止まったままだ。雨はしょぼしょぼと降り、日本国は霞んでいる。キャビンの窓のそれぞれの場所に陣取った四人は、今回の旅のつれづれを想いながら、雨に打たれる穏やかな海面をみつめて、身動きもしない。
 金さんの回復を祈って、この稿を閉じたいと思う。

※この稿は1998年九月十七/十九日の両日開かれた津文化協会主催による講演会「半泥子と山田萬吉郎」−韓国訪問の旅−を講演者自身がまとめたものです。


-7-「伝わる物は伝わるんだ」