−6− 静寂を忘れてしまった日本人
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戻って「朝鮮陶磁器の変遷」。余談に亙るが、と断って書いている一節が、正に萬吉郎の人生を暗示しているような一文なので、よみ難いが紹介する。句読点を補って。 《越州秘色青磁を焼かしめてゐた呉越王銭家を武力を以て降らしめたる宋室の末裔が、北狄金に追はれて江を渡り、呉越王銭家の故地近くに都し窯を築いて青磁を焼き、昔銭家の保護を離れたる越窯の工人が海を渡って高麗の窯を築いて優秀なる青磁を焼き、その子孫が再び故国に歸って南宋青磁を焼きたるにあらざるかを考へる時、世の栄枯盛衰、有為転変、全く小説戯曲よりもさらに奇なるを感ぜしめられるのである。 居を移すは人生の一大事である。 幾萬個の越器を朝貢品として焼きたるを最後として宋室に下った銭氏。銭家の保護を失ひ、工具を負うて流浪の旅に上り、海を渡って遥かに高麗に移った工人。将又、北狄金に追われ、秘庫の名寳を取出す暇も無く捨てて江を渡って都した宋室。貴賎貧富の差はあれ、世に先祖の地を後にして旅に上る程寂しきはない。この間に處して、その見聞録を一管の筆に託して世を去った徐競は流石に偉いものである。國亡ぶと雖、往々にして経史存するを知りしものであろうか》。徐競と萬吉郎の影が重なって見える。 ■望雲半島 窯跡やコインドルを求めて走り回った望雲半島。入り組んだ海岸線。干潮時だったのか、その先には何キロもつづく干潟。日本でいえば有明海の干潟か。どちらも干満の差が大きい地帯。でも、一漕ぎ外海に出ると流れの早い難所。それを知り尽くしてる朝鮮の海軍に、秀吉の海軍もさんざんにやられた。古代から多くの貿易船が沈み、引揚げた海底遺物だけで、木浦には立派な博物館、「木浦海底遺物博物館」ができている。 陸地と云えば、赤土のなだらかな丘陵地帯。まことに見事に耕作し尽くされていて、やや北海道に趣が近い。半泥子が行ったときは全面これ麦畑とあるが、今回同じ六月に行ったのに麦はほとんど見なかった。 赤土の上に赤いものがゴロゴロ転がっている。道端にも赤い袋の行列。荷台の赤いトラックが列をなし、轟々とゆく。これが全部、赤いネットに入ったタマネギ。 ところが食卓にタマネギが出ない。去年のソウル旅行でもそうだった。タマネギの姿は思い出せない。金さんに訊ねてみた。全部日本向けです。そのあと赤い行列をみる度に、あーあっとため息をついたり、コレガ全部日本向ケカー、と嘆く御仁も出る始末。 ■静寂 旅の一日。町中で飯を食ってのんびりしていると午後二時、大きなサイレンが鳴った。その瞬間、人も車もピッタシ動かなくなってしまった。辻辻には軍隊や警察官が立つ。通りを歩いていたおばさんは、家の壁にひっついてしまって動かない。これが毎月十五日、韓国全土で行われる臨戦態勢の演習。北朝鮮との関係が緊張すると1時間にも及ぶことがあって、その間、車に乗っている人はそのままトイレに行くことも出来ない。 その日の十五分の静寂は、日頃二十四時間を騒音の中で暮らす我々にとって、《静寂》の意味を考えさすだけの充分なものがあった。日本人は《静寂》を忘れてしまった悲しい生き物である。 ■忘れ得ない人申文蘭さん。半泥子が窯焚きのあと、一刻お邪魔して大歓迎された両班(ヤンバン)・李載昇さんの長男のお嫁さん。ヤンバンは朝鮮の名家にして旧家、ただの金持ちは富者(プーシャ)という。この九十歳の素敵なおばあさんの頭には純金の簪。たった一人で暮らしてる。家の中までみせてもらったが、磨き込まれた松の板に、北朝鮮軍に占領されたときの銃口の後が無数に残っていた。バガジ(水を掬う容器、夕顔の果実を乾燥した物、中身でカンピョウを作る)に申文蘭と漢字でサインし、お土産にくれた。 赤シャツの男。町中で話しかけてきた。山田萬吉郎は咸平でイイことした。他の人は皆駄目だった。終戦のとき、山田農場で「桐箱に入った花鉢、李朝の白磁と云うのをいただいてきた。どうも本物じゃないみたいだけど・・」。まあ早い話がブンドッテきたわけで、それを差し上げましょう、とも云う。そんな話しはするなト言ッテルラシイ地元の人と大口論。韓国人は激しい 鞠吉喚。食堂「銀河水」の主人。この人も街で会った人。キン、キンとさんざ考えてガボジッ(甲源)! おう、ガボジ!と金容石さん。あー金甲源! 親父からよく聞いた、と潤二さん。鞠吉喚さん曰く、日本軍は昭和十五年に戦争に負けると云っていた。農場で軍隊に飯をたらふく食わせていたから、山田さんはその話を聞いていた。金甲源は親日派だ、「日本日本といいすぎますよー」。なんにしろ鞠吉喚さんは今回の旅の功労者だ。 行くところ名前の出ない事のない申正玉。山田農場でも精米担当だったらしく、精米機の前に立つ写真がある。娘さんが住んでいた家もわかったが、その娘さんも死んだと。 奈里の姜大圭さん、半泥子が「親しみと野趣そのもの」と書いた姜大文の末弟。「ヤマダノウジョウ、サンビャクニジュウイッチョウブウ(三百二十一町歩)」と日本語で我々をびっくりさせた。 ウズラ売りのおばさん。咸平初等学校の門前で段ボール箱をならべ、塀にもたれてウズラの雛を子供相手に売っている。ウズラ、なんて云うから訊ねると日本語ができる。広島で高等女学校を上がったと云っている。身なりはよくない。ビデオカメラに駄目ダメと手を横に振った。(つづく) |
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