−5− 農夫の持っていた焼物が数百万


韓国訪問D

萬吉郎の著作

■河出書房刊「世界陶磁全集十四李朝篇」
 監修奥田誠一(東洋陶磁研究所所長)尾崎洵盛。編輯小山富士夫。
 萬吉郎は大家連中に交じって「全羅道の李朝窯址」という研究報告八頁分を載せている。図版解説は、百四十五点のうち十点を萬吉郎が担当。巻末の陶磁史年表も、その大方は山田萬吉郎による「陶器口座」から、との注釈がある。
■「三島刷毛目」
 生前ボストン美術館付属図書館に「陶器口座」(萬吉郎編による朝鮮陶磁史年表つき)と共に寄贈し、死ぬ間際まで“三島刷毛目”と度々言うので看護婦も訝ったという彼の代表作。文字だけで六百枚物、挿絵多数の「三島刷毛目」。これには焼物が中国から朝鮮へどう伝わったかが述べてあり、中国陶器の北方系、南方系別々に、朝鮮の別々のところに伝わったことが記してある。朝鮮南西部でその各々は粉引と黒高麗(天目)を焼く系統、高麗青磁を焼く系統として伝わり、以後何百年も交わらずに推移する。
 彼は白い土を焼物の表面に掛けて焼く系統の、粉引、無地刷毛目、三島刷毛目、刷毛目などに注目した。茶碗全体、高台の中にまで白土を厚く掛けた物、高台は省略し高台脇まで白土を掛けた物、主に茶碗の内側にだけ掛けた物、一旦掛けた白土を、ハケでこすり落としている物、ただハケでサッと塗り付けてある物。
 彼は窯跡から出る陶器陶片の収集と分類、そして考察の結果、白土が貴重だったのだ、時代の古い物ほど白土がどっぷり厚く掛かっており、そのうち部分掛けにし、ますます白土が貴重になったので、最後はハケでなすって倹約したのだ、と結論する
 また彼は、朝鮮に首の折れている花入がやたら多いことに注目する。とくに高麗中期〜李朝初期に多い。それより時代が古く、薄作りで、折れていて当たり前の物に完品が多く残っているのはなぜか。
 答え。倭寇。辞書によると、13〜16世紀、北九州、瀬戸内海の土豪が貿易を装いつつ海賊的集団を形成して朝鮮半島や中国沿岸を荒らしまくった、とある。この時期が首のない時期と合致する。すなわち日本人があまりに荒らしまくったので、持って行かれないように、自分たちで首を叩き壊して墓などへ入れたのである、と萬吉郎は書いている。朝鮮の人にとっても、日本人にとっても、誠に悲しい、情けない歴史である。
■昭和十五年刊「朝鮮陶磁器の変遷」
 この著書の最後で、博物館に何を並べるか、について萬吉郎は触れている。「当然学術的であるべきはずの博物館すら往々にして優秀品の陳列に過ぎない場合が多い。まして個人の収集においておやである。時代から時代に移り行く過渡時代の不完全をオミットしてしまって、どうして物の変化が分かり得ようぞ」
 私も同感だ。美術館はどんどん立派な物が建つ。しかし博物館には重きが置かれない。私は逆だと思っている。もちろん今迄のみすぼらしい幽霊の出て来そうな博物館は駄目だが。博物というのは歴史を正しく見るための資料。美しいが正体不明、ということはあってはならない。
 美術には流行がある。すなわち廃れもある。特に今生きている人の利害に直接結び付く現代美術にはいろいろな暗躍がある。博物は厳然とした事実。どちらが上という物ではないが、まず厳然とした事実が大事。井上靖が書いた色紙「私には正確な物だけが美しく見える。文章も、風景も、人と人の関係も」。《正確な》人と人の関係、《正確な》風景。とてもとても奥の深い言葉だ。美しいかどうかは正確に物を見た上でのことである。もちろん物の中には自分も含まれる。《正確に見る》、この至難の業。これに命を懸ける人こそ、文人と云う名がふさわしい。
■宇治木幡物語
 この薄い冊子の中に、吃驚するような、越州秘色青磁の見事な水注の写真が出ている。
 宇治は萬吉郎が敢えて、琵琶湖東岸の故郷を捨てて移った歴史のある場所だ。萬吉郎の愛した鎌倉初期の随筆、無常厭世の仏教感におおわれた鴨長明「方丈記」などの舞台に関係があるのだろうか。確かに「方丈記」の庵は京都の日野、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためし無し・・」。台風、飢饉、大地震と経て、人と住家の無常を謳う。零落一方の我が身、草庵閑居の安らぎ。萬吉郎の姿が透けてみえる。
 木幡には、藤原時代の墓などゴロゴロある。多くは宮内庁の管理になっているが、どこから何がでるかわからない。戦後、地元の農家の人が崖から首をだしている焼物をみつけ、ていねいに掘り出した。
 値打ちがわからず放っておいたが、萬吉郎が投稿した新聞記事を見て、こんな近所に焼物のわかる人がいたのか、と自転車に乗り、裸の焼物ぶら下げてやってきた。萬吉郎はみるなり小山冨士夫に連絡を取り、小山も見にきて、すぐ数百万で国に買い上げさせた。農夫はその金で家を新しくした。萬吉郎は農夫から菓子折り一つ。
 当時、金に困り果てていた山田家の家人は、千円だってあの農夫は大喜びだったのに・・と不満を漏らしたが、萬吉郎はただ、名を惜しむ、と。(つづく)


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