−3− 窯跡には褐色瓶のかけらだけ
■窯跡を尋ねてまず半泥子が立ち寄った五柳里の窯跡。ここは当時瓶を焼いていた。行ってみると只の畑。畑の中に底の厚い飯茶碗のかけらや、褐色の瓶のかけらが落ちているだけ。 半泥子の焚いた荷苗里(ハビョリ)の窯に向かった。 窯はどんなところか。半泥子の「朝鮮窯焚きの記」に、道路の左側、だらだらと海に向かって麦畑を下ったところにポプラが二、三本。シメジのような家が五、六軒とある。 そこに辿り着くまでが大変。最初に突入した道でカマ、カマと尋ねるが、畑の人に方角が違うと云われ、金さんは方針を正攻法に変えた。知り合いの老人を訪ね、くたびれた連中が小型バスで寝惚うけている間にまた別の集落の老人を訪ね、道を聞き聞き、最後は老人クラブまで行った。金さんの責任感と執念は凄い。 老人クラブには誠に元気な老人がいっぱいいて、老人と呼んではとても失礼な一人の方に車に同乗してもらい、結局さっきのカマカマと尋ねた場所まで逆戻り。ここで新たに風格ある元気な老人を乗せ、三十秒も走らない内に、ココガ窯跡、というところに着いた。何もない。ポプラが飄々と風にはためいている。ただ畑。すぐ横には田圃もある。家も五、六軒ある。牛舎からはぬーっとデカイ顔が出る。見事な海。 あちこちに散らばる陶片。茶碗を窯詰めするときに使う陶枕も拾った。半泥子の陶片はモチロン無い。全部咸平に持ち帰ったと記録にある。 半泥子が二週間も滞在した山田農場の事務所、奈里へ向かう。奈はサクラの意。桜の咲く里。半泥子は、なんとイイ名ではないか、と書いた。姿はほとんど昔と変わっていないのだろう。萬吉郎が昭和の始めに撮った写真と現地とを対照しながら、ココガ奈里ダ、と確信したとき、心は一挙にセピアの世界にタイムスリップしてしまった。 家が少々増え、電信柱が立っている。多島海の鏡のような海。浮かぶ島々。萬吉郎の農場と海とを区切る堤防が、昔そのままの曲線を描いているし、山田農場の名前は消えたが、防潮堰がほとんど形を変えずに残っている。半泥子が採らせたムツゴロウの子孫までがちゃんといる。多島海の島々が自然の防波堤となり、海はあくまでも静かだ。 萬吉郎がスケッチしたハビョリ窯窯詰めの図を、八月二十五日掲載の挿絵で紹介しておいた。茶碗を五、六個から十個、積み上げて焼く。高さ百二十センチある窯の上部はガランドウで、こんなことで焼けるのか、と半泥子が訝った話を書いた筈だ。森本さんに日本へ運んで戴いた陶片で、こんどは正確に陶枕を台にして再現し、遊んだ。目土をつける分、茶碗が焼き縮む分を計算にいれて、詰めたときの推定高、四十センチちょっと。 ふと思い出してわが家の食器棚。手取りの重い一つの碗。完品、傷無し、直し無し。今度ハビョリで拾ってきた陶片と、形、釉、高台、焼上がり、まったく区別がつかない。目方は六八〇gある。今、一般家庭で普通に使っている瀬戸物の飯茶碗は、一七〇g程か。拾っているとき、なんだか懐かしい気がしたはずだ。 なぜこんな物があるのか。実は十五年以上も前に骨董市で買っていて、わが家で食器として使っていたのである。半泥子が焼いて来た窯の物だ。コワイ話だ。半泥子の背後霊が取り付いてしまったのだろうか。 ■コインドル(ドルメン) ドルメンはフランス・ブルターニュ地方の方言(ブルトン語)で世界中ドルメンで通じるが、今回は韓国への旅なのでハングル、コインドルを使おう。 前回、満州から朝鮮にかけて、また蒙古の一部、フランスには五千個ある古代の巨石墓と、半泥子が朝鮮総督府の博学、加藤灌學から教えられた通りに書いた。いま百科事典をみると、新石器時代から鉄器時代初期の巨石墳墓。東北ヨーロッパ、北アフリカ、インド、南アメリカ、カスピ海沿岸、東南アジア、近くは北九州にも有る、とある。 半泥子と萬吉郎が二人して褒めちぎったコインドルは、山裾の畑の中、個人の住宅の敷地、至る所にあって、馬鹿でかいコインドルを跨いで塀を作っているのさえ見た。庭の中で物置台になったり、キムチの瓶を干していたり。咸平の人達はその石を庭石の代わりに見立て、一つ庭園を造ってみよう、というような事は考えない健康な人達と見た。 畑に取り囲まれたコインドルの中には、草に覆われて、これがコインドルなの? 只の石じゃないの、という具合の物もある。支石墓といいながら支える部分のきちんと見えるコインドルはなかなかない。 肝心の、石を支えている部分がはっきり見えたのは、コインドル公園と光州博物館構内。なんにしてもバカデカイ。この石をどのように遠くから運ぶのか、どのように支石の上に乗せるのか。明日香の石舞台と同じ疑問が湧く。支石をまず組み、土を被せ、固めておいて石を引きずってきて乗せ、後で土を取り除く。まずそんな所しか考えられないのだが、古代の人間の惜しまぬ労力と、馬鹿にできない知恵の所産だから、我々の浅知恵の及ばぬものだろう。 ただ、韓国の今を生きる人にとっては、とても邪魔なものだろうと思われる。萬吉郎の云うように、仕方がないからコインドルを避けて耕している。でも、彼らは仕方なくでもなんでも、石と共存している。同じものが日本の随所にあったと仮定して、性能のよい機械力でこれを次々破壊しないという保証はないように思える。否、確実に消滅させてゆくだろう。そんなところから人心の荒廃が始まってゆくことも気づかずに。(つづく) |
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